七転び八起き

30代会社員amiの雑記ブログ。キャリアとライフの充実を目指し奮闘中。コメント大歓迎。

「イケメンとしか付き合いたくない」という心理

私はアラサーになるまで彼氏ができなかった。今振り返ってその理由を考えると、もちろん見た目や性格の問題もあったと思うが、一番の問題は、

「イケメン以外とは付き合いたくない!」

という心理だったように思う。

今日はそんな在りし日の自分を考察したい。

 

◆「イケメンと付き合わないと恥ずかしい」という強迫観念

小さい頃、少女漫画を読むのが好きだった。

少女漫画の一つの典型的なストーリーは、なんてことない普通の女の子が、何故かイケメンと恋をするというモノである。だいたいライバルは学校一の美人で、「何であんな地味な子なんかに…!」とその美人が悔しがるまでがセオリーとなっている。

私の場合だが、イケメンと付き合いたい理由は、もちろんイケメンが好きというのもあるのだが、それ以上に「世間の目」「周りの目」を過度に気にしていたことが大きかったように思う。

学生時代、周りの友達と比べると、決して可愛い方でもないし、ファッションセンスもないし、髪の毛なんかもうまくセットできず伸ばしっぱなしだし、分厚いメガネをかけているし、ダサ…いや!素朴系女子だった。

はっきりいって女子のヒエラルキーで言えば低位に位置していた。

そんな私が一発逆転できるのは、とにもかくにも「誰もがうらやむイケメンと付き合う」ことしかなかったのである。イケメンと付き合って、その彼氏を友達に紹介する妄想をよくしたものだ。

逆に言うと、もし「見た目があまりかっこよくない」人と付き合ったら、「あの子はかわいくないから、あの程度の男の子としか付き合えなかった」と周りから思われるのではないかという恐怖心があって、イケメン以外と付き合えなかったのである。

 

◆そのくせイケメンにアタックできない

もし自分が美人の部類だったら、イケメンと付き合うことに執着はしなかっただろう。

なぜなら、美人であれば単体で十分価値がある。逆にイケメン以外と付き合ったとしても、「美人なのに、見た目で選ばなかったのね」とプラスの評価にすらなりうる。

つまり、「イケメンに固執する心理」とは、自分に対する自信のなさ、自己肯定感の低さだったように思う。そして、そんなありのままの自分を受け入れられないプライドの高さのせいでもある。

「イケメンと付き合いたい」といいつ、いざイケメンを前にすると「あんなイケメンが私なんかを相手にするわけない…」と思い遠くから見ることしかできない。

美人以外がイケメンを落とそうと思ったら、とにかくアタックして仲良くなるしかないのに、最初から「自分には無理だ」と諦めて声もかけられない。

ふられたくない、傷つきたくない…。

そりゃー、彼氏できるわけないよね。

少女漫画のような甘酸っぱい恋愛を夢見ながらも、それが現実になることはなく、私の学生時代は幕を閉じたのだった。

 

◆徐々に緩和されたイケメンへの固執

大学を卒業し、私は某企業に就職した。全国転勤もある会社への入社だった。周りの友達はかなり優秀な子でも、一般職や地域限定職を選ぶ子が多かった。

しかし、私は今まで彼氏ができたこともなかったし、もう自分は結婚しない(できない)だろうという自信があったので、全国転勤でも構わなかった。

最初に配属になったのは営業部門だった。営業に見た目の良さは関係ないようだったが(成績優秀な先輩たちも決してイケメン・美人ではなかったので)、最低限の清潔感や親しみやすさは求められる。

上司からまずはその近寄りがたい分厚いメガネをやめるように言われ、コンタクトに変えた。カチッとしたスーツを着て、毎日深夜まで働いた。人と話すのは苦手だったが、少しだけコミュニケーション能力もついた。

思うに、営業という人と接する仕事を通じて生計が立てられるようになったことが、一つの自信になったように思う。仕事をすることは一つの社会貢献でもあり、「私のような人間でも多少は人の役に立つんだな」と実感できたことは大きかった。

だんだんと「イケメンと付き合えないと恥ずかしい」という強迫観念は薄れていた。

もちろんイケメンは好きだし、ジャニーズ系のイケメンと付き合えたらなーという夢は常に見ていたが、「イケメンの彼氏を持つことで自分自身の価値を証明しよう」という気持ちは小さくなった。(ただし、完全にはなくなってないのが悲しいところ…。)

 

◆今になってしみじ思うこと

周りがどう評価しようが、「かっこいい!」「一緒にいて楽しい!」「好きだ!」と自分自身が心から思える相手と付き合う、それが一番なんだろうなと今となっては思う。

でも、そこにたどり着くまではかなりの時間を要したし、頭では分かってはいても、実際はなかなか難しい。

自分の中のくだらない見栄をどうコントロールするか、これは一生の課題ではないかと思う。